modthings

modthings.exblog.jp

modthings

マルコム・マクラーレンはモッドだったか?

a0213779_2132043.jpg

マルコム・マクラーレン
マルコム・ロバート・アンドリュー・マクラーレン(Malcolm Robert Andrew McLaren、1946年1月22日 - 2010年4月8日)学生時代に出会ったヴィヴィアン・ウエストウッドと1970年代にブティックをオープン。NYのパンクバンド、ニューヨーク・ドールズのマネジャーを経てセックス・ピストルズを世に送り出した。バウ・ワウ・ワウが解散した後は、自分のソロアルバムなども出し、また2000年以降はリアリティTVなどに登場したが、2010年に死亡した。





世間一般的にマルコム・マクラーレンは、ヴィヴィアン・ウエストウッドとともにパンクファッションを生み出したファッションデザイナー、セックスピストルズの仕掛人、ヒップホップ・オールドスクールの金字塔「DUCK ROCK」を世に残した音楽家/パフォーマーなど、さまざまな顔を持つ人物として知られています。そのフットワークの軽さは、彼の店(1971年"Let It Rock"、1972年“Too Fast To Live, Too Young To Die、1974年“SEX”、1976年“Seditionaries”その後は“World's End”)が数年ごとに次々と変貌を遂げることにも現れています。


モッズシーンとの関連についていえば、いつの頃からかマルコム・マクラーレンが"モッド"だったというのが定説になっています。私が持っている書籍にも"カーナビーストリート一のお洒落野郎でフレンチクルーカットを流行らせた張本人"と書かれていますし、「彼はモッドだった」と言い切っているインタビューもネット上で見られます。


たしかに彼の先進性はモッド(モダン)に通じるところがあるので、その話を聞くとモッズ側の人間は「なるほど」と納得します。しかしどこか腑に落ちないのです。先進的ですが、それ故に型にはまることを嫌うマルコムがモッド? 今ひとつ想像ができません。試しに彼の若い頃の写真やモッドだった記述を求めて検索をかけてみましたが、有力なものは何も引っかかりませんでした。


以前からこのモッズシーンの悪い癖として、必要以上にモッズとの関連付けを行なう傾向があり(他シーンからすれば迷惑とも取られることも)、今回もそうした拡大解釈によって事実が歪曲された可能性も否定できません。

そこで、今回はマルコムがモッドだったかどうか、個人的に検証していきたいと思います。





まず当時からフランスに傾倒していたマルコムは、フランスの自意識と個の美徳・・・例えば、

 "集団帰属意識を持たない" 
 "個人主義(他者とは違う自分)"

などに挙げられるような考え方を若い頃から持っていたのではないでしょうか?
(余談ですがマルコムは1968年にはパリ五月革命に参加しようとするが失敗) 

また、ここにフランス人のいう「会話は芸術である」をそのまま体現している当時の彼について知る資料があります。これはマルコムの死後にGQに連載された、パンクムーヴメントの誕生から死までを内側から見届けた文筆家フレッド・ヴァーモレルが当時のマルコムについて語ったインタビューです。


マクラーレンとは1963年にアートスクールで出会った。マリファナ、ボブ・ディラン、夜通しのパーティといったあらゆるアンダーグラウンドの要素に象徴されるようなハロウ(※)という学校だった。マクラーレンは変人だった。ガリガリで、赤毛で、そばかすだらけで、嘲るような笑みを浮かべ、たいてい粋なタータンチェックのマフラーをしていた。そしてオーソン・ウェルズ、フランツ・カフカ、ビリー・フューリー、ゴッホ、エディット・ピアフについてひっきりなしにしゃべっていた。


いかにもフランスかぶれのアートスクールに通うマルコムらしいといったところでしょうか。ちなみに当時彼が通っていたのはハロウ(※)スクール。この学校は、1964年のハイ・ナンバーズの演奏で知られるウェルドストーンのレイルウェイ・ホテルからそれほどしか離れていませんでした。ザ・フーの名付け親で写真集「MODS!」でも知られるリチャード・バーンズは、ピート・タウンゼントとともに別のアートカレッジに通っていましたが、おいしい奨学金を求めて次々とアートスクールを渡り歩いていたマルコムと何らかの接点があったかもしれないという可能性は捨て切れません。また伝説のモダニスト、ジョニー・モークがフランスのファッションを取り入れるヒントとして、フレンチクラブに出入りする客の他に、アートスクールに通うマルコムのような人物の存在があったのではないでしょうか。



ハロウに通う一般学生の写真(1966年)
a0213779_21322095.jpg


The High Numbers at the Railway Hotel (1964)
a0213779_2132528.jpg



そしてアートスクールを渡り歩いていた1960年代のものと思われる、マルコムの写真がこちら。(1967年にはCroydon collegeにてセックスピストルズのアートを手がけるJamie Reidと出会う)
a0213779_21321644.jpg



この頃からリラックスした彼らしい着こなしをしているのがわかります。上手くいえませんがつかみ所がないのです。ひたすら自分を行く彼はモッドとは言い難く、いち早く(勿論そんなつもりはないのでしょうが)コンチネンタルルックを取り入れた彼が、"モッズ側の人間にとってファッションの手本になった"くらいのほうのが事実に近いのではないのでしょうか?



それを裏付ける当時の彼に付いてこう書かれています。

As a teenager he had been into the Continental Look of the early Sixties that presaged the Mods.


その直後に続くのが彼のこんな言葉。
あの独特な笑いが目に浮かびます。

"I never thought they looked as stylish as people claimed. The more pretentious artsy people I thought were more sexy. I was never thrilled by the English way of life. I was always concerned with attacking it. The very thought of drawing a Union Jack on your back just frightened the life out of me. I much preferred the Matelot shirt and the girl with the black stockings and muddy green holey sweaters and strange eye makeup!"

http://ca.music.yahoo.com/blogs/rocks-backpages/the-rocks-backpages-flashback-malcolm-mclaren.html






最後にマルコムの自己を形成したともいえる祖母にいつも言われていたこの言葉を。



"To be bad is good... to be good is simply boring"
a0213779_21345231.jpg









NEXT DJ...名古屋クラブジャズフェスティバル2013
http://modthings.exblog.jp/17092252/

名古屋モッズシーンのイベント情報はこちら
http://www.facebook.com/NagoyaMods
[PR]
by modthing | 2013-01-04 09:35 | MODS
ブログトップ